『ねじまきどりクロニクル第1部泥棒かささぎ偏』を42ページまで読んでみてからの、一つ目の日記。

 もしそれがたったの一頁でも、ほんの一行でも、一言でも。by ごーちぇ

 そもそもこのブログ日記を始めようと思ったきっかけはブログを沢山作ろうと思ったところから始まった。

 なぜブログなのか?
 もうブログしかやれることがなかったからだ。

 例えばTwitter140文字と文字数が圧倒的に少ない。
 FaceBookだと長い込み入った文章なんか誰も読んでくれない、みんなただの知り合いだ。
 みんなが欲しいのは結婚した話とか子供が生まれた話しとか、旅行に行ったとか、何かしら簡単にいいね! と共感できる日常だ。
 
 少しでも非日常的な事を書いてしまうとみんなどんどん疎遠になる。
 僕なんか1000人近くフレンドがいるけれども、何か投稿しても30人くらいのいいねが静かに付いているだけだ。
 ほぼほぼ誰も書き込んでこない。
 書き込んでくるのは変なアイドルオタクのおじさんだけだ。
 しかも何を言いたいのか、何を言っているのかよくわからない書き込みばかりだ。

 何かできないものかと小説も書いてはみたけど、箸にも棒にもかからない。本当にそうだ。
 才能がないのかもよくわからない。
 反応が全くないから。
 才能・・・。
 まぁ・・、ないのだろうが、それはさておき。

 とにかく文を書くことがしたかった。
 できるだけ思いつきで書き殴ったような文がいいと思っていた。
 僕には何も教養がないが、本を読むのはまぁまぁ好きだ。

 子供の頃から小説を読みふけると言うような子供ではなかったが、ぼちぼち読んでいたような気もする。
 特に小説と言うものを意識して読むようになったのは本当にここ最近だと思う。
 もう後数年生きたら半世紀経ってしまう年齢になった。

 今は2019年の秋。
 なんならもう冬。
 何故か小説を本腰で読み始めたのは2016年の秋だ。
 何を読み始めたのかはそのうち語るとして、この三年間で200冊は超えた。
 本当はもっともっと読みたいのだけれども、なかなか難しい。
 きっと読む速度が遅いのだろう。
 僕はゆっくり本の持つ世界観に浸りたいだけなのかもしれない。

 Anyway

 ここで話を戻すと何故ブログなのか?
 なんとなく思えることは、ひたすら逃げてきた結果ブログになっただけなのかもしれない。
 それに。
 自由な気がしたからだ。

 もう誰かに読んでもらうことを期待して書くことはしないで、自分の好きなことをなんの脈略もなく描き続けれるブログを始めたかった。

 でも、少しだけコンセプトが欲しかった。
 大きいテーマだけど、みんながそこだけはわかるというコンセプト。

 そのためにつけたブログ名が「もしも村上春樹が死んだなら。」だ。
 別に村上春樹さんが死ぬことをつらつら書くつもりではなく、もう一度村上春樹作品を読み返すきっかけがを自作したかっただけだった。
 きっと村上春樹さんが死んだら泣きながら毎日作品を読み返すだろうと思う。

 例えば書評とかだったら1冊読んだりして書くものだろうが、このブログは書評でもなんでもなんでもない。なのでネタバラシもない(結果あるような気もしますが)。
 批判もしなければべた褒めをするつもりもない。
 
 ただ村上春樹作品をたったの一頁でも、ほんの一行でも、一言でも読んだら、日記を書くというものだ。

 だから読んだ内容と僕が書いた内容は決してイコールで結ばれることはない。

 なんなら読んだ上になんでこれを書いたんだ? という疑問が浮かぶだろうと思われる。
 でも、そんなことはどうでもいい。

 村上春樹作品が読みたいんだ!
 そしてブログが書きたいんだ!
 じゃあ読んだら書く! それだけのことになった。
 もしそれがたったの一頁でも、ほんの一行でも、一言でも。
 ただ毎日書こうと思っています。
 もしそれがたったの一頁でも、ほんの一行でも、一言でも。

「ねじまき鳥クロニクル」
『ねじまき鳥クロニクル』は、村上春樹の8作目の長編小説。

 世界中の誰とも共通できるキーワード。

 そして今日は『ねじまき鳥クロニクル』を42ページまで読みました。
 そこから得たインスピレーション、というか妄想と言うか、なんかイメージと言うか、絵というか。
 そんな感じで書きたいと思います。

 現在、僕は名古屋に住んでいます。
 なんなら生まれも育ちも名古屋です。
 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ村上春樹ファンならわかると思うけど、僕の自宅は名古屋城から一番近いレクサスの近所です。
 GoogleMapで調べるとレクサス名古屋西が名古屋城から3キロメートル、レクサス高岳が2.5キロメートル。
 なので僕の自宅はレクサス高岳店のそばということになります。
 そして村上春樹ファンならわかると思いますが、僕の行きつけのスターバックスはそのレクサスのディラーを出て左にしばらく行くとあるスターバックスです。
 レクサス高岳店からスターバックスまでそんなに遠くはないけれど、知人を待たせるにはちょっと遠いと実感します。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ時にそう思いました。でも、小説にするためにそういった工夫が必要なんでしょうね。世界中の誰とも共通できるキーワードが。

 それはさておき、もし僕がレクサスで働いてて訪ねてきた旧友を待たせるなら、レクサス高岳店の向かいにあるトランクコーヒーを使います。

ごーちぇ

 もう一度、村上春樹の作品が読めている喜びでいっぱいです。

 そして今日2019年11月24日日曜日、そこで『ねじまき鳥クロニクル第1部泥棒かささぎ偏』を42ページまで読みました。
 『ねじまき鳥クロニクル』は2018年6月に一度全部読み終えているので約1年半ぶりくらいに読み返すことになります。

 なんで『ねじまき鳥クロニクル』を読み返すのか?

 これも僕にとって結構大事なことで、来年の3月に『ねじまき鳥クロニクル』の演劇講演を観に行くのです。
 このためにもう一度『ねじまき鳥クロニクル』読み直しておきたかったのです。

画像は勝手に使っているので怒られたら消します。

 そんなことする必要はないのかもしれませんが、なんかやりたくなってしまします。
 昔よくコンサートに行く前に全部聴き直したりしてました。
 それでも知らない曲があったりします。
 レディオヘッドのコンサート、OK Computer tourの時もそうでした。
 僕セカンドアルバムからファンになったのでファーストアルバムの曲はCreepしかしらなかったんです。
 そんな時は何故か俺もまだまだだなって思ってみたりします(笑)。
 それが楽しいんでしょうね?
 本当に無意味です。
 でも楽しみに意味なんていりません。楽しめるならそれでいいんです。

 そしてこの演劇『ねじまき鳥クロニクル』のおかげで小説を読み返すきっかけができて、なおかつブログをつくるきっかけができました。
 本当に感謝でしかない。
 もう一度、村上春樹の作品が読めている喜びでいっぱいです。

 子供の頃はなんであんなにいっぱい時間があったんだろう?
 今は時間をつくるのに必死です。
 時間をつくるのにお金がたくさん必要です。
 まったく不思議です。
 お金を稼ぐのを頑張るかもしくは稼ぐのを諦めるかでやっと時間ができます。稼ぐのを諦めるとお金がなくなってまた時間を削って稼がないといけません。タイムイズマネーとは本当によくいったもんです。

 僕は好きなことに没頭して生きていきたい。
 やりたいことが山ほどあります。
 もういい大人なのに、やりたいやりたいなんて。なかなかふしだらです。

 でも、やります。

 その一つがこのブログです。

 小説を読むのは総じて好きなのですが、正直なところ、村上春樹作品だけ読みたいのが本音だと僕の細胞は叫んでいる気がします。

 「じゃあそうすればいいでしょう?」言いますよ人は。無責任に。

 でもね、それもなかなか難しいんです。
 やっぱりね、あれこれ読んでみて首を傾げながら「あれ? これじゃないなぁ?」って思ってから村上作品に戻って読みたいんです。

 それから読んでみるとココイチのカレーを食べた後の冷水みたいに読めます。
 ツーっと冷たさが気持ちよく喉を通って胃に到達しているのがわかるんですね。
 気持ちいいんです。

 僕は村上春樹作品の中でも長編が好きです。
 短編ももちろんいいんですけど、長編が最高ですね。
 その中でも『ねじまき鳥クロニクル』、すごく好きです。

 でも、今回読み始めて、そう言えばこれ短編から始まってるんだよな? って思い出したんです。 
 だからまた村上春樹さんが何かのきっかかけで、また急に短編を長編に持ち込む可能性があるかもしれない。
 なので短編もちゃんと見張らないいけない(笑)。
 そう思うと時間がまったく足りない。

 困りました。
 ええ、言いますよ「やれやれ」ってね。
 

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